INTERN
インターン Vol.1

憧れのおとなに会いに行った学生に密着

OIU学生×島根県海士町長山内 道雄さん

地元市役所で働きたい!という夢を持つ“まおちゃん”こと山本さんは、ある小さな町が掲げた「ないものはない」というコンセプトに強く惹かれ、島根県の離島へと向かいました。どうしても会いたい憧れの大人は、海士町長の山内さん。海士町を地域再生のリーダーへと導いた山内さんの生き様に耳を傾けます。

島根県海士町長
山内 道雄さん

1938年島根県海士町生まれ。郵便局、電電公社(現在のNTT)での勤務を経て、1995年海士町議に当選。2002年には海士町長に当選し、現在4期目。職員の給与カット、島根県立隠岐島前高等学校での「島留学」、鮮度を維持したまま魚介の出荷を可能にする最新の凍結技術(CASシステム)導入など、挑戦的な施策を次々と実施。存続の危機にあった海士町を、地域再生のリーダーにまで導いた。第三セクター・株式会社ふるさと海士の代表取締役も務める。

「ないものはない」
だからどうする?

大阪国際大学の山本と申します。よろしくお願いします。

町長の山内です。どうも。ようこそ。山本さんは市役所に勤めたいんだって?

はい!大学で地域再生という授業を取っているんです。部活動でもボランティアで森林保全とか川の清掃とかをやっていたんですけど、授業を受けたことでより興味が湧いて。

それは地方公務員にとって大事な視点だね。

もともとは行政ってなんか固いイメージがあったんです。でも、海士町のことを知って、イメージが変わりました。

確かに一般の人からみたら、これまでの行政っていうのは固いイメージがあったかもしれないね。でも、特に町役場なんていうのは、住民の皆さんのために仕事をさせていただいているので、住民の皆さんと、役場・行政との間に距離感があってはいけないと思います。これまでのイメージを、私は変えたいと思っていました。

「ないものはない」という海士町のコンセプトがすごく印象的でした。このコンセプトはなんで生まれたんですか?

いや、本当にないものはないんですけどね。それじゃ、島の持続性はないから。ないもの探しじゃなくて、あるものを探しをしよう。あるものを磨いていこうというのが、あのキャッチフレーズなんですよね。

そういうアイディアは、どんな時に生まれるんですか?

アイディアは、職員や外から来た若い人たちのアイディアですね。直感で、いいなぁと思ったら素直に受け入れることにしています。そういう意味では、考えるというよりかは、いいと思ったことをやること。行政の一番大事なことは、理論を並べるよりも向かうこと。即実行だと思っていますから。

仕事に
「向き」「不向き」はない。

山内さんは、もともと町長になろうと思っていたんですか?

いえ、それは全然考えていなかったですね。私は単身赴任で、松江にあるNTTの支店長をやっていたんですけど、家族のために止むを得ずという理由で辞めて島に帰ってきたので。町長をやるとかそういう思いはなかったんです。

え!全くですか?

ええ。ただ、若い時から故郷に対する想いというのは、誰よりも強かったと思いますね。

そうだったんですね。私も行政の仕事を目指しているんですけど、この仕事に向いている人って、どんな人だと思いますか?

私は、向く・向かないはないと思っていますね。確かに厳しいし、辛いことも悩むこともいっぱいあると思うけど、住民のためという思いを持ってやれば、最後には結果が自分に返ってくる。そういう風に考えたらいいんじゃないかな。

何か努力するべきことってあるんでしょうか。

やっぱり、自分の住んでいるところを、まず好きにならないといけないね。こんなところつまらないけど、公務員は給料がいいし…なんてことでは続かないかもしれない。自分はこの街が好きなんだ、だからこの市役所を受けるんだと思えたら、それが一番大事なポイント。

確かに、好きじゃない街のために、頑張れないかもしれません。

働くことになったら、誰よりも街を好きになる努力をしたらいいと思う。自分の趣味を通じて、地域の方とまじわれるかもしれないし、色んな場に顔を出すことによって、学ぶことはいっぱいあると思うよ。チャンスはいくらでもあるんだから。

決断が、
海士町の人を変えた

山内さんの視点から見て、海士町の魅力ってなんですか?

私は、人だと思っていますね。
昔の海士町は封建的というか、閉じられた部分もあったんですけど、Iターンの皆さんによって意識が変わってきています。私はやっぱり海士町の人情とか、今の変わった海士町の人が好きですから。

島の皆さんが変わるきっかけになったのは、山内さんから始まった給料カットの取り組みとか、そういうことが影響しているんですか?

ああ、あれが大きいかもしれないですね。私が町長になった平成14年、国からの借金は100億以上あったんですよ。シミュレーションでは平成20年には赤字再建団体になって国が管理していくことになるだろうと言われていました。

会社でいう倒産みたいなことですね。

そう。ついには住民サービスをダウンせざるを得ないところまできてしまって。でもそれをするには、トップが身を切らないと住民は理解してくれない。私は自分の給料を30%カットすると言いました。

30%も!

ところが、ある日の夕方、総務課長から電話がかかって来て、飲み屋から。

飲み屋さんから(笑)

行ったら、管理職の皆さんがみんな集まっていて、「町長、俺たちもやるんだ」と。

役場の方自らで、やるとおっしゃられたんですか…!

君たちには求めない、トップが姿勢を見せるだけで十分だと、随分話したんですが、彼らが最後に「僕たちも町長について行かせてください」と言ったの。私は、本当に泣いてしまった。

それで、皆さんで取り組まれることになったんですね。

決していいことじゃないし、確かに職員の皆さんに心配も迷惑もかけたんだけど、それから住民の皆さんが、すごく変わりました。

住民の方が、ですか?

例えば敬老会の会長は補助金なんかいらない、と言い出した。住民の皆さんも、町のためにあれもやろうこれもやろうって。この給与カットが海士町を変えたと思っていますね。

学生時代の恩師、
友達は一生の宝

海士町のことを調べていく中で、高校の島留学というのを見つけたんですけど、高校に来る方、応募者というのは多いのですか?

多いですね。実は島前高校は生徒の絶対数が少なくて、廃校寸前になりかけたんです。当時は、3学年で90名をきっていました。そこで、大阪と東京へ子どもの募集をかけたんですね

それが島留学。

そう。島前高校に来てもらうだけの魅力を作るために色々やりました。学習センターを作って、進路指導に力を入れたりね。島留学というのは、全寮制で親代わりになる「島親」というのが一人ついてもらうんだけど。すごく自立心、独立心の強い子どもたちがきて、卒業して、地域にどんどん出て行っています。

すごいですね…!

最初は反対もありました。なんで、島の外の子どもたちをそこまでして受け入れるんだって。

どうしてそれでも島留学をやろうと思われたんですか?

島前高校が廃校になったら、これは大変なことなの。子どもを一人島外に出そうと思ったら、高校3年間で400万円くらいかかる。3人いたら1200万円。
その後大学も行くでしょ?とてもとても島の親父さんの稼ぎじゃやれないと。

あらためて金額にすると、すごい負担ですね。

そう。すると一人の子どもが出て行くんじゃなくてね、家族みんなで島を出て行くということになるんです。それでは島の人口は雪崩のように減っていってしまう。

高校だけの問題じゃなくて、島の大きな問題ですね。

色々なことをやって、今では1学年2クラス。80名にまで増えました。以前は、卒業式をやってもあの広い体育館に90人しか生徒がいない。先生も10人くらい。父兄ももちろん地元の親だけじゃない。

はい。

今年の卒業式は、あの体育館がいっぱいになりましたよ。生徒は増えたし、教員は学習センターの50人近いスタッフも来るし、後ろには父兄、その後ろには島親もいる。それを見て私は、壇上で祝辞を読みながら、グッときたね。

ああ、それは取り組まれていたことを実感する瞬間ですね。

あの頃の寂しいなあっていう気持ちがあったから、盛大な卒業式で生徒を見たときに、感激だったね。本当に涙涙しながら祝辞を読んだんだけど、いいことをやって成果が出たなって、嬉しかった。

どんな生徒さんなんですか?

ある関東から来た生徒は、嬉しいことに「私は保育士になって帰って来ます」と私に言ってくれました。

夢がしっかりとあるんですね。

夢は持っていますね。具体的にやりたい仕事を目指して、大学へ進学していきますから。

そしてまた帰って来る生徒さんもいるわけですもんね。

あの多感な高校時代にここで生活したということは、必ずや第二の故郷になると思います。もうすぐ学園祭がありますけど、毎年大学に進学した子たちが「町長、帰って来ました」と言ってやってくる。嬉しいですよ。

山内さんの高校時代はどんな感じだったんですか?

性格は大人しくて目立たない方だったかなぁと思います。ただ、振り返ると友達はたくさん作りました。

学生時代の友達は特別って、よく聞きます。

もう79歳になるけど、ついこないだも会いに行って来てね。いつ会っても高校時代に戻ると言うか…。90歳を越した恩師も、本当に私を大事にしてくれていますよ。

やっぱりそういう感じなんですね。

私は修学旅行に行けなかったんですけど、3年生の休みに友達が福岡で修学旅行のコースを全部一緒に歩いてくれました。そういうのが今でも、本当に宝になっているし、自分の人間形成に影響していると思います。人の関わりとか、友達とか、恩師とか。

自分が責任を取る、
という覚悟。

山内さんの仕事って、決断の連続じゃないですか。その決断力ってどういうところからくるんですか?

トップの仕事というのは、やっぱり覚悟の決断と即実行しかないんじゃないかな。覚悟がないと決断はできない。計画をなんぼ組んでもやらなかったら結果は出ない。

私は決断力があまりなくて、迷ってしまいます。失敗するかもしれない、って思うと勇気が出なくて。

確かに成功ばっかりではないかもしれないけど、やらないことには、成功か失敗かわからないでしょ。自分がいつでも責任を取るという、この覚悟が大事だと思っていますね。

チャレンジする人は、
光る。

山内さんは、すごく仕事を楽しまれているんだなぁと思います。楽しく働くために必要なものってありますか?

成功とか失敗とかじゃなくて、チャレンジすることが、やっぱり人間の一番の生き様じゃないかな。

大切なのは、成功することじゃないんですね。

チャレンジしていれば、必ず誰かが見てくれているから。社会に出たら、チャレンジする人は光りますよ。ですから、学生時代には、やっぱりそういう訓練することが大事だと思います。

はい…!

まぁ、経験を積むことだね。最初から意識的に狙うんじゃなくて、いろんな体験をする中で、失敗しても諦めず繰り返すということだ。

性格は、
言い訳にならない。

山内さんが考える面白いおとなってどんな人ですか?

面白いおとなってなんだろうね、でも気楽に声をかけてもらえるおとなになりたいね。若い人でも、お年寄りでも。それは、町長だからとかじゃなくて。強い人には向かっていけばいいし、弱い人には優しくありたいね。私は強い人には、激しく向かいます(笑)

(笑)

あなたがいう面白いおとなじゃないかもしれないし、欠点の多い人間なのかもしれないけど。気楽にみんなから出会ったら挨拶してもらえる、こちらからもするような、そんなおとなにあなたにもなってほしいし。

なりたいです…!どうしたら、そういうおとなになれますかね?

世の中には必ず嫌いな人、ソリの合わない人というのがいるものだけど、やっぱりこっちから近づいていくというか、逃げちゃいけないと思う。

私、実は人見知りな方なんです。山内さんはたくさんの方と接する機会があると思うんですけど、コミュニケーション能力はどうやって身につけられたんですか?

僕もどっちかというと、人見知りをする方だったかもしれない。でも、人を管理する立場になると、嫌でも話をしないといけないし、自分の思いを伝えないといけない。そういう中で、無意識のうちに訓練されてきたと思う。

そうなんですか。慣れというか。

性格は色々あるんだ、人間はね。でも性格だけでは通れないものがいっぱいある。職員にもよく言うんだけど、仕事で性格だからという言い訳は許さないよ、と。私は厳しいことを言うんですよ、職場では(笑)

はい…厳しいです(笑)

でも、厳しさの中にある優しさも大事だと思っています。お酒の場では、「町長は厳しいけど、愛があるから」なんてよく茶化される。

それは、私もわかる気がします。

だって、そんなものだよね。みんな本当は弱いんだよ。人間は弱い動物なんだから、それを虚勢はっても意味はないし。弱い、本音のところを見せればいいんだよね。悲しい時は泣けばいいし、喜ぶ時は、体から喜べばいい。

私は感情の波があるのがコンプレックスでもあって。直さないと、って思ってたんですけど。

喜怒哀楽が激しいと言ったら悪い方に取られることがあるんですけど、人間だから表情があっていいと思う。弱いところも強いところもあるんだから、いいところを伸ばしていったらいいよ。

人生を投げることは楽、
でもその先はない。

失敗したり落ち込んだりした時は、どうやって乗り越えているんですか?

海士町は確かに今、地方再生のトップリーダーだとか言われたりしていますけど、それはあくまでも挑戦事例であって、成功事例ではないんですよ。挑戦を辞めればこの島は沈むので、常に挑戦をし続ける。だから失敗というのはないですね。落ち込むというのは…実は、私ガンなんですよ。

え!?

初めて聞いたときはショックだったけどね。でも、これはかかってしまった以上、しょうがない。それをどう乗り越えるか。

なりたいです…全然そんな風に見えませんでした…。

自分がしょげてたら、みんな落ち込むから、作る必要はないんだけど、やっぱり自然体でいたいなと思って。まだまだ、来年の5月30日までが任期だからね。まず、任期を全うせんといかん。絶対死なないと思っていますから。頑張りますよ。

お身体が大変な時に、会ってくださってありがとうございます…。

いやいや、大丈夫。

山内さんの、その想いとか仕事への情熱はどこから生まれているんですか?

そうだね、人生投げてしまったら終わりだから。投げることは楽なんだけど、それから先はないからね。

もう投げ出したい、って思ったことはないんですか?

会社勤めしていた時に、上司と合わなくて辞めて帰ってやろうと思ったことがあるよ。でも、あの時、投げ出して帰っていたら、今の自分はなかったでしょうね。あの時に頑張ったから、今があるかなと思ってる。

それから今では、町長にまでなられているんですもんね。

町長の仕事なんかするとも思わなかったけど、自分は今やりがいがあって、皆さんから声をかけられて。不思議だよね。

いくつになっても、
夢はもっていい。

これからの夢をきかせてください。

ないものはない島だったけど、本当に今恵まれた島になっているなあと思う。やっぱり夢を追い求めることは大事だと思うし、いくつになっても。この島に生まれて、この島に来て、この島で生活してよかったなあという、海士町がそういう島になれば一番理想かなあ。

貴重なお話ありがとうございました。

いやいや、こんな若い人と、意見交換できるなんてね、若くなった気持ち(笑)

(笑)

あなたは具体的に今、夢を持っているんだから、自分のためじゃなくて住民のためだということを忘れずにやったら、本当にいい公務員になれますよ。頑張ってください。

頑張ります!ありがとうございます!

いいねえ、嬉しいね。私が市役所の市長だったらすぐとりたいね。(笑)